大正11年5月 | 名瀬市に於いて、有村治峯個人による大島紬、黒砂糖等の製造卸問屋を経営 |
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昭和18年10月 | 個人経営を大島産業商事株式会社と組織変更をなし取締役社長に、有村治峯就任 |
昭和26年2月 | 業容の拡大に伴い商号を、有村商事株式会社(資本金300万円)と改称し、海運業・倉庫業・貿易業・一般 貨物等の取扱業務を併設すると供に、洒類、煙草等の卸業を営む |
昭和29年4月 | 日本復帰に伴い政府食糧米卸売業の許可を受け、奄美大島の元卸業を営む。 |
昭和36年10月 | 鉄鋼油槽船壽丸(D.W465屯)を建造、主として奄美群島の糖蜜輸送に就航する |
昭和41年2月 | 鉄鋼油槽船壽三丸(D.W1,277屯)を建造し奄美群島、沖縄の糖蜜及び石油類の輸送に就航する |
昭和43年3月 | 鉄鋼油槽有明丸(D.W1,900屯)を建造し主として、台湾、フィリピンに就航させる |
昭和43年4月 | 鋼製資格L.P.G専用船松里丸(D.W660屯)を建造し、沖縄及び国内のL.P.G輸送に就航 |
昭和44年5月 | 鉄鋼油槽船光亜丸(D.W3,000屯)を建造し豪州方面 に就航 |
昭和44年9月 | 鉄鋼油槽船新明丸(D.W970屯)を購入し、国内油類の輸送に就航 |
昭和45年8月 | 有村商事本社ビル竣工 |
昭和45年10月 | 鋼製L.P.G専用船松壽丸(D.W1,059屯)を建造し、主として、千葉、台湾、大分、沖縄間に就航 |
昭和45年11月 | 鉄鋼油槽船最上丸(D.W1,496屯)を建造モービル石油株式会社専用船として、国内沿海に就航 |
昭和52年8月 | 沖縄三井若狭給油所開設 |
昭和57年5月 | 鉄鋼油槽船ことぶき丸(D.W499.74屯)を建造し、国内油類の輸送に就航 |
昭和57年7月 | 奄美大島酒造株式会社醸造の黒糖焼酎「浜千鳥」総発売元 |
昭和61年12月 | 販売事業用無線局免許取得 |
昭和63年7月 | 奄美空港ターミナルビル内へ売店開設 |
平成2年9月 | 初代社長 有村治峯会長へ、二代社長有村栄男就任 |
平成3年6月 | 精米工場大型精米機導入 |
平成4年6月 | 鉄鋼油槽船新油丸(DW17トン)を建造し、港内バージ船輸送に就航 |
平成5年5月 | 鉄鋼油槽船最上丸(699G/T)新造船就航 |
平成7年6月 | 鉄鋼油槽船ことぶき丸(499G/T)新造船就航 |
平成7年7月 | 鉄鋼油槽船給油丸(D.W15屯)を建造瀬戸内町の港内バージ船として就航 |
平成9年10月 | 黒糖焼酎「じょうご25°」新発売 |
平成12年6月 | 初代社長「有村治峯」名誉会長へ就任、二代社長「有村栄男」会長へ就任」、三代社長「有村修一」社長就任 |
平成12年11月 | 有村治峯名誉会長101歳にてご逝去(11月7日) |
平成12年12月 | 故有村治峯名誉会長 奄美振興会館にて群民合同葬(12月3日) |
平成15年5月 | 春季全国酒類コンクール第一位「浜千鳥乃詩」「じょうご」 |
平成15年10月 | 乾式無洗米加工機(みずいらず)新設 |
平成17年3月 | 九州運輸局鹿児島支局より、鹿児島県第一号 ISMコード(船舶安全管理認定書)交付 同年2月、鋼船油タンカー最上丸 同認定書交付 |
平成17年12月 | 奄美大島酒造株式会社 新工場落成 |
平成23年3月 | 鋼船油タンカー治栄丸(732G/T)新造船就航 |
平成27年6月 | 国際食品品評会「モンドセレクション2015」にて、「浜千鳥乃詩」「高倉原酒」 「高倉」が最高金賞、「じょうご」が金賞を受賞 (8年連続) |
平成28年7月 | 有村栄男会長 96歳にてご逝去(7月13日) |
平成30年4月 | 奄美空港ターミナルビルリニューアルに伴い、空港売店「エアポートショップありむら」を1階中央ロビーへ移転オープン |
令和2年2月 | 奄美大島産原料100%の黒糖焼酎「奄美の浦島太郎伝説」25度 720mlを5,000本の限定発売 |
令和3年12月 | 奄美市名瀬 港町給油所 閉店 |
令和4年6月 | Ⓐグループ創立100周年記念式典 開催 |
令和4年6月 | 東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)2022にて、「じょうご」が最高金賞の中の特別賞のベスト・オブ・ザ・ベスト、「浜千鳥乃詩ゴールド」が最高金賞を受賞 |